フリーライティングについて

フリーライティングの言葉は、英語圏では市民権を得てからかなり時間が経つのではないかと思います。インターネットでFreewritingという言葉を検索しても、直ちに大量の検索結果が表示されます。他方、日本語圏ではどうでしょうか。カタカナで「フリーライティング」で検索しても、2015年4月14日現在の検索結果の多くは、ソフトウェアに類するエントリがほとんどで、ライティングに関するエントリとしては、私が10年以上前に書いた記事が今だに上位に表示される有り様です。ウィキペディアにも、「Freewriting」に関する記事は存在しますが、日本語版は存在していない状態です。

これは一体どうしたことでしょうか。

「フリーライティング愛好家」の自分としては、この言葉や方法が日本で普及していない現状には少なからず驚いています。むろん、「下書きで一気に書く」というアプローチ自体は、一種のジェネリックな行為として日本人の中でも認識されはいると思いますし、こうした方法の利点も周知されているはずです。しかし、それが1つのコンセプトとしては、例えば「フリーライティング」という方法としては、まだ概念化・意識化・方法論化されていないのでしょうか。

Freewritingという概念自体は、私の知るかぎり(過去の記事でも書きましたが)Peter Elbow氏の『Writing with Power』や『Writing without Teacher』の著書で紹介され、深い考察と共に体系化されています。もっとも、この概念自体を「自動書記」や「意識の流れを捉える」のように、より広い定義で捉えると、Jack Kerouac氏など、さらに複数の著述家が含まれてくるようです。

さらに、この方法をビジネス向けに発展させた例としては、Mark Levy氏の『Accidenal Genius』があげられます。この著書で紹介されているPrivate Writingという方法は、まさしくPeter Elbow氏のFreewritingに相当するものであり、ここでは、特にMind Mapping等と同列の「発想法や思考整理のテクニック」として考察されているようです。

ちなみにこの本は、『書きながら考えるとうまくいく!』というタイトルで邦訳も出ています。このため日本では、「フリーライティング」よりも「プライベート・ライティング」という言葉として、この方法は浸透しているようにも見えます。実際、「プライベート・ライティング」で検索すると、この方法を称えたエントリをたくさん見つけることができます。

とはいいつつ、こうしたフリーライティングやプライベートライティングの方法に関する日本語コンテンツは、それほど多くないようには感じますし、「ライティングの有効な方法論」としても知られていないような印象があります。Peter Elbow氏の『Writing with Power』を出版した年(1998年)を考慮すると、これはちょっと意外です。フリーライティングが日本語の執筆に不向きな理由でもあるのでしょうか。

私自身、特にElbow氏からは多大な影響を受け、「フリーライティングは、単なる執筆のための方法論にとどまらず、一種の哲学でさえある」と思っている人間です。近年、個人的な執筆物をインターネットに展開することを控えていましたが、ここはひとつ、特にフリーライティングに関するブログでも立ち上げて見ようかと思い立ち、こうして久しぶりにこの種のライティングをしています。ちょうど英語でも同種のライティングを再開したので、良い意味での相乗効果が生まれると良いかなと期待しています。

このブログでは、「フリーライティングとは1つの哲学である」という立ち位置の下、肩ひじ張らず、さまざまな事柄を掲載していきたいと思います。

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